Archive for the ‘生きがいと人生の目的’ Category

人生の目的には完成があるところが生きがいと異なる点(1)

Posted in 生きがいと人生の目的  by: まみ
9月 27th, 2011

生きる目的がハッキリすれば、心から充実した人生が開かれます。
では、真の「人生の目的」とは何でしょうか?

生きがいを人生の目的と誤解する人が多い中で、親鸞聖人は、「人生の目的には、完成がある」と、生きがいとの決定的な違いを明確に教えておられます。

「生涯学習」という言葉をしばしば耳に致します。

これは、より豊かな人生を送るため、生きがいを求め、生涯を通じて行う学習をいいます。
学習内容は、資格取得、語学、「生き方講座」やスポーツなど、多種多様です。

この生涯学習に、幅広い年齢層から注目が集まっています。
実際に生涯学習に取り組んでいる人たちの声を聞いてみましょう。

「自分の人生を楽しむため、充実した人生を送るために、自分に投資する学習だと私は思っています」
(38歳・女性)

「自分の人間性を築き上げるもの。仕事を離れた時に、自分自身の仕事以外の喜びを得ることができるもの」
(55歳・男性)

これらの人々に限らず、皆それぞれ、輝く人生を築こうと、新たな生きがい、価値観を模索しているようです。

“残された人生を、もっと充実させたい。それには、今までになかった何かを……”

そんな思いで、生きる指針、生きがいを渇望する声は、全世代に満ちています。

特に昨今話題になるのは、定年期を迎えている「団塊の世代」です。

戦後の高度成長期、息せき切って社会に出た人たちの多くが、大学教育を受けずにいました。

会社のため、家族のため、仕事仕事と生きてきたこの世代の多くが、これからは「自分のため」、じっくりと学びたい、というのです。

ところが、いざ「何をしようか」となると、はたと考え込んでしまうようです。

確かに、先に挙げた「生涯学習」でも、面白そうだな、やってみたいな、と思えるものは、たくさんあります。しかし今、本当になさねばならないことは何でしょうか。

日本人で初めてノーベル生理学・医学賞を受賞した利根川進氏は、評論家・立花隆氏との対談の中で、こう言っています。

「一人の科学者の一生の研究時間なんてごく限られている。研究テーマなんてごまんとある。ちょっと面白いなという程度でテーマを選んでたら、本当に大切なことをやるひまがないうちに一生が終ってしまうんですよ。だから、自分はこれが本当に重要なことだと思う、これなら一生続けても悔いはないと思うことが見つかるまで研究をはじめるなといってるんです」
(立花隆・利根川進著『精神と物質』)

“ちょっと面白いなという程度でテーマを選んでたら、本当に大切なことをやるひまがないうちに一生が終わってしまう”

これは、科学者だけのことではないでしょう。多くのことを学ぶのも大事ですが、悔いなき人生を謳歌するためには、最も大切なことを知らねばなりません。

限られた一生の中で、今、何をすべきか。

それは、「何のための人生か」「生きる目的は何か」を、正しく知ることではないでしょうか。
その「人生の目的」を明らかに教えられた方が、親鸞聖人なのです。

人生の目的と生きがいの違いについて、次回も続けましょう。

生きがいではない生きる目的とは?

Posted in 生きがいと人生の目的  by: まみ
8月 25th, 2011

私たちが生きていく上で、生きがいは大切ですが、それは人生の目的とはなりえないことを、前回、お話ししました。

人生の目的とは、生まれてきたのはこれ一つ、といえるものですが、生きがいは、その時その時、変化するものですし、その人の価値観が変わってしまえば、生きがいも変わります。生まれてきたのはこれ一つ、といえるものは、生涯を通じて変わらないもので、すべての人に共通するものです。

「そんなものなんてないよ」と言うことは簡単ですが、本当にあるのか、それともないのか、自分自身で確かめようとすれば、これは大変なことです。

親鸞聖人といわれる方は、人生の目的を明示された方である、と親鸞会の人に教えてもらいました。
これはすごいことです。そこで、どのように明示されているのか、尋ねてみたところ、「平生業成」という言葉を教えて頂きました。

「平生業成」は、「へいぜいごうじょう」というように、少し変わった読み方をする四字熟語です。
親鸞聖人は、90歳まで長生きされた方で、その90年間の教えをひと言で表した言葉が平生業成です。

平生とは、生きているときのことですから、この人生のことですね。
業というのは、「ごう」という読み方をしますが、「人生の大事業」を表しています。これが「人生の目的」のことです。人間に何のために生まれてきたのか、生きているのか、生きねばならないのか、ということです。
成とは、完成する、達成する、ということです。

だから、「平生業成」とは、人生には、これ一つ、果たさなければならないという大事な目的がある、それは現在、完成できる、だから早く完成しなさいよ、という親鸞聖人の教えをひと言で表された言葉だということでした。

仏教には、2600年経っても変わらない人生の目的を明らかにされている教えだということなんですね。
生きがいとはまったく異なる人生の目的を、どのように教えられているのか、さらに続けましょう。

生きがいは人生の目的とはなりえない

Posted in 生きがいと人生の目的  by: まみ
5月 1st, 2011

生きがいは大切なんですが、生きがいは人生の目的とはなりえないことを知りました。

生きがいには、やり遂げる、ということがありませんから、ゴールがないんです。
どこどこまで行っても、終わりがない。
自分で、「まぁ、この辺だろう」と区切りをつけるしかない。
それにしたって、{やっぱりもうちょっとがんばっておけば良かったかな?」と思うこともあるから、絶対にこれで満足というところはない。

生きがいは、明日を生きる活力とはなっても、真に人生に満足をもたらすものではありえない。
明日も生きていられるのが前提で、初めて喜べるものが生きがいの特徴。

これから死んでいく人にとって、生きがいはもはや喜びとはなりえないのです。
死を忘れていられる間は、生きがいも光を放つでしょうが、死を前にした時、そのすべての輝きを失います。

人生の目的とは、たとえ死を前にしたとしても、変わらないものでなければなりません。
死によって崩れるものは、人生の目的とはなりえないのです。

「そんなのあるか?」

という声が聞こえてきそうですが、なければ、生きる意味なんてない、と結論付けられるだけです。
人生はむなしいものとなるだけでしょう。

もちろん、あるんです。
なかったら、生きてる意味がないじゃないですか。

生きがいではない人生の目的とは何か、ぜひ知りたいところですね。

生きがいと人生の目的との違い

Posted in 生きがいと人生の目的  by: まみ
1月 27th, 2011

生きがいと人生の目的は異なります。

そのことを、浄土真宗の教えを忠実に話してくれる親鸞会で学びました。

生きがいは、どこまでいってもキリがありません。

完成ということがないからです。

ところが、人生の目的には完成があるのです!