Archive for the ‘生きがいとは’ Category

生きがいの熱狂も冷める

Posted in 生きがいとは  by: まみ
7月 25th, 2011

「生きがいを見つけよう」というフレーズをしばしば耳にします。

生きがいは大切です。生きがいがなければ、生きていけないでしょう。
生きがいの喪失とともに、人は元気を失くし、力を失っていきます。

退職後、生きがいを見つけられず、満たされない思いを抱いている中高年の方は少なくありません。
「どう生きていけば良いのだろう」
と、ため息をつく声が聞こえてきそうです。

そうなると、何を探すのでしょうか。
新しい趣味、第二の仕事、夫婦で旅行など、いろいろ始めてみようとしたり、これまで出来なかったことにチャレンジしてみたりする方も多いでしょう。

ただ、それらのことも、ほんの一時しのぎに過ぎません。
いつも趣味をしているわけにもいきませんし、第二の仕事と言っても、そのための人生ではありません。
旅行も、たまの楽しみとしては良いですが、毎日、旅行することも出来ません。

私たちの人生は、生きがいを楽しむためにあるのではありません。
それでは、あまりに虚しすぎるでしょう。

やがて必ず死んでいかねばならない人生、死ぬまでに絶対に果たしておかねばならない一大事を知らずに過ごしていませんか?

生きがいは、飽くまでこれからを生きていくための手段の一つであって、生きる目的ではありません。
目的を知らないまま、どれだけ元気に明るく旅をしようとしても、気持ちは虚しくなるだけ。

目的がハッキリしてこそ、手段は輝きます。意味があるものになるのです。
では、私たちが生きていく目的は何でしょうか?

それを明らかに教えられたものが仏教なのだよ、と親鸞会で仏教を学ぶ知人に教えてもらいましたので、それについては、次に書きたいな、と思います。

生きがいとしていた母が……

Posted in 生きがいとは  by: まみ
2月 1st, 2010

興味深い体験談を耳にしましたので紹介したいと思います。

50代のお母さんの話でした。親鸞会親鸞聖人の教えを学ぶ友人の知り合いの方でした。

以下は、そのお母さんの話です。

 私は、気難しく、口やかましい父と、物静かな母との間に、3人きょうだいの2番目として生まれました。

 小さいころから体が弱く、病気ばかりしていて、小学校に入ってもオネショが治らず、母をとても困らせたそうです。

 いちばん、両親を悲しませたのは、7歳ごろから始まったチック症でした。この時の父の落胆ぶりと焦りはひどいものでしたが、

「私のほうがずっとつらいんだ」

と、心の中でいつも叫んでいました。

 父がそんなふうなので、姉や弟も一緒になって私をなじったり、いじめたりで大変でした。母が必死になって私をかばい続けてくれなかったら、泣いてばかりいた私は、どこかで死んでしまったかもしれません。母は、そのときの私にとって、一番の生きがいでした。

 しかし、そのチック症も、中学に入るころには自然と治っていて、母はとても喜んでくれました。私も本当によかったと思いました。

「これからは、部活動にも勉強にも頑張ろう」

と、趣味や生きがいを持つことに意欲的だったのもつかの間、今度は突然、神経症になってしまいました。

 あらゆることに強迫観念を抱き、対人恐怖、赤面恐怖などに、ただ、おびえ続けました。しかし、母にこれ以上は心配かけられず、1人で我慢を通したのです。

 やがて高校を卒業し、専門学校に通っている時に、電電公社(現・NTTグループ)の採用試験に合格し、あこがれの電話交換手になりました。

 その2年後、最愛の母と死別。ろくな看病もできぬまま、生きがいであった母を失い、心の支えをなくしてしまった私はすっかり自信を失い、仕事帰りに、神経科の病院へ飛び込むようにして診察を受けました。相当重いと思っていましたが、この時は、2、3カ月のカウンセリングで、元気に明るくなりました。

 その後、1年ほどして、周囲の勧めもあり、現在の夫と見合い結婚をしました。そして、夫とも相談のうえ、母を亡くして独り身となった父と同居することにしましたが、これが失敗の元でした。

 やがて父と夫との争いが始まり、間に立たされた私は、長男がおなかにいたのに、仕事と家事とトラブルの仲裁に、心身ともクタクタになっていきました。

「この世は地獄だ」

と、つくづく思いました。

 そんな中で、長男を出産し、

「これからは、この子を生き甲斐に、ゴタゴタは忘れて生きていこう」

と希望いっぱいで、産院から戻った時です。

 すっかり安心し切って、息子の足首に通してあった病院の名札を捨てたのが縁となって、強迫観念が再発したのです。不注意で、わが子である証をなくした、自責の念でした。

 以後、この病のために、息子を抱こうとしても、体が震えて抱けず、子も泣く、親も泣くの惨状となりました。母として、この苦しみは想像を絶するものでした。

 4、5年我慢しましたが、耐え切れず、また元の病院へ。今度は治療なしで、1冊の本を手渡されました。それは、ある精神科医の著書でした。

「これが分かれば、自分で治せる」

と言うので、ついでに根治療法の本も4、5冊買って帰り、深夜まで読みふけりました。

「仏教」とか「親鸞聖人」と書いてあったのを、よく覚えています。

 懸命に読んだかいあってか、病気の本態が分かり始め、それとともに元気が出て、だんだんと、長男を抱き締めてやることもできるようになりました。私には、これだけでも大変な喜びでした。

 長男から11年後、長女が生まれました。元気だった私は、今まで味わったことのないいとおしさを感じ、私の全愛情を注いで育てました。最高の生きがいでした。時折、暗く寂しい目で私たち母娘を見つめる長男に気づきましたが、私には、それどころではありませんでした。

 

続きは、次回で。

生きがいを求める理由

Posted in 生きがいとは  by: まみ
1月 6th, 2010

家族に囲まれていれば、それが生きがいとなって生きていけるとも限りません。

以前の資料になりますが、平成6年の国民生活白書を見ると、老人の自殺率がいちばん高いのは、3世代同居のケースでした。

独りぼっちの孤独も確かにつらいですが、一緒にいて、相手にされない孤独は、さらに耐えがたい苦しみが伴うようです。

学校でのいじめも、周囲からの無視がいちばんつらいといわれるのも、うなずけます。

「父帰る 茶の間の子供ら 部屋帰る」きくちカン

(第一生命「第14回私が選ぶサラリーマン川柳ベスト100」より)

こんな川柳は、どこにでもある家庭の風景を表わしているようで、思わず笑ってしまうのですが、仕事から帰ってきたお父さんが、安らぎを求めた子供たちから、疎まれ避けられるのは、何とも寂しい話です。

定年後は「ぬれ落ち葉」「産業廃棄物」などと揶揄され、邪魔者扱いされるに至っては悲劇というよりないでしょう。

家族とともにいても、孤独なのです。

仏教にこんな言葉があることを、知人に教えてもらいました。

独り生まれ、独り死に、独り去り、独り来る

お釈迦さまの言葉だそうです。

人は生まれた時が独りならば、死んでいく時も独り。生きている間も独りぼっち。

確かに、親や兄弟、友達や恋人などは、多くいても、心はどこか、寂しい、寂しいと震えているように思えます。

東京砂漠ともいわれるように、大勢に囲まれるほどむしろ、人は分かり合えず、孤独を感じるものなのかもしれません。

大学のコンパや会社の飲み会で、周りが盛り上がるほど、なぜか、自分だけ居場所がないと感じた経験はないでしょうか。

そんな孤独な心をまぎらわすために、私たちは、生きがいというものを求めずにはいられないのでしょう。

社会保障と生きがい

Posted in 生きがいとは  by: まみ
10月 30th, 2009

福祉が充実し、生活に不自由なければ、生きがいを持つことで老いの孤独は解消するか、考えてみましょう。

福祉国家として名高いのは、ノルウェーやスウェーデンなどの北欧諸国です。

国民の生活水準は、米英をしのぎ、社会保障制度と社会施設は完備して、ユリカゴから墓場まで、生活上の不安は何一つないといわれます。

ところが驚いたことに、これら北欧諸国は、自殺率が高く、しかも、高齢になるほど、その率は高くなると言います。

このようなことを知ると、福祉が行き届くことで、孤独の不安から解放されるとは、早計には言えないようです。

名作として知られる映画「ショーシャンクの空に」の中に、こんな場面があります。

終身刑で50年以上服役していた老人が、70歳を過ぎて、釈放されました。

鉄格子の扉から外の世界へ解放された老人は、どの町に行くのも、どの店に入るのも自由です。

だれに監視されることもありません。

しかも、社会復帰を援助するため、スーパーでの仕事や、アパートも、国から保証されていました。

それにもかかわらず老人は、数日後、アパートの天井からロープをつるし、自ら命を絶ったのです。

服役中は話をする仲間もあり、必要としてくれる人がありました。

しかし、壁の外では、家族も友達もいない、独りぼっちだったのです。

保証もあり、自由な生活が得られたとしても、孤独の寂しさを乗り越える力にはならないのでしょう。

生きる力は、社会制度がととのい、老いの不安が軽減されたからと言って、わきあがってくるものではないようです。

日本もまた、世界の国々と比較すれば、生きがいを持ち、自由に生きることの出来る国と言っていいのですが、自殺の多い現状は何を物語っているのか、よく考える必要があります。

老いゆく人の生きがいとは

Posted in 生きがいとは  by: まみ
9月 29th, 2009

日本は、世界一の長寿国となりました。

高齢化がどんどん進んでいます。核家族の増加とともに、たくさんの高齢者が孤独、寂しさの中に生きています。

そんな中、私たちはどのように生きがいをもって生きていけばいいのでしょうか?

2009年の9月、総務省の発表によれば、既に国内の女性の人口では、およそ4人に1人が65歳以上だそうです。まさに超高齢化社会です。退職後の人生をどう生きればよいか、生きがいを模索する人も増えています。

かつて文部省で、学習指導要領の作成にも当たった教育学者の上田薫さんは、以前、朝日新聞の連載で、このように述べていました。当時、上田さんは82歳でした。

「私はいま元気ですが、やがてボケも骨折も起きようし、限界は見えている。希望がない。容赦のない生殺し、いや、いつ出られるか分からない牢獄です。多くの老人が生かしようのない『ゆとり』の中にいる」

体験した人のみが知らされる実感でしょう。上田さんは、さらにこう続けます。

「先哲の書物にはいろいろ書いてあるが、この時代に通じるのでしょうか。(略)宗教にしても、本当に有効なのか。禅堂や修道院の世界もあるが、日常の中での生身の悲しみや孤独とどれだけぶつかっているか、考え直す必要がある。(略)『教育基本法改正』などといっている場合じゃない。(略)孤独や死や不安に人間や社会がどうかかわるべきか、差し迫った問題がある」

知識人たちも、孤独を乗り越え、生きていくための生きがいを模索しているようです。生きがいには、老いゆく人の未来に希望を持たせる力がどれほどあるのか、検証の必要があるようです。

生きがいを見つける!いじめの相談。

Posted in 生きがいとは  by: まみ
7月 10th, 2009

親鸞会の知人は、よくいじめの相談を受けるのだそうです。

いじめと言っても、被害者だけじゃなく、加害者の人からの相談まで。

そしていじめは子供だけじゃなく、大人の世界でもありますよね。

例えば職場や、近所の人からのいじめもありますよね。

どこの世界に行っても、自分と合わない人は必ずいます。

そしてそれがキッカケとなっていじめのターゲットにされてしまうこともあるんですよね。

大人ですから言葉を選んでいるつもりでも、つい悪気もなくでてしまった言葉を

他の人は悪い方に受け止めてしまうこともあるかも知れません。

何かしらの生きがいを持っている人であるなら、そういったことでも

寛大に受け流せる気持ちになれるかも知れません。

でも自分を信じる為の生きがいというものがなく、

人の悪いところばかり気が付いてしまう人は結局そこから

いじめのターゲットを作ってしまっているのかもしれません。

その本人も実はいじめられた経験があって、昔の自分をかわいそうだと思い、

なんで私だけ!という思いで誰かに仕返ししたいという気持ちも

もしかするとあるのかもしれません。

生きがいを見つけることは大事です。自分に自信を付ける為にも。

そしてその生きがいを守る為に自分の行動を理性で抑えられることもあると思います。

生きがいはなぜ大事か、いじめの相談があるごとに知人は

『生きがい』の意味について話しているのだそうです。

そんないじめに関する相談をしに人はどういった思いで帰っていくのでしょうね。

自分を見つめ直すきっかけになればいいですよね。

生きがいと死ぬ覚悟

Posted in 生きがいとは  by: まみ
5月 16th, 2009

死んだらどうなるか考えたことはありますか?

生きがいを見つけるというのは難しいことかもしれませんが、

生きがいというのは日常のちょっとしたことでもいいと思います。

お酒が大好きな人なら、『俺は酒飲んで寝るのが生きがいだ!』

というのでも全然OKだと思います。その人の生きがいはお酒なのです。

『もう子供も大人になったし、何を生きがいにしていけばいいのか・・・』

と思っている人なら、これからは自分の趣味や娯楽を

『生きがい』にしていけばいいと思います。

辛くて辛くて死んでしまうことを考えるよりも、

生きていいことを見つけるまでは死ねない!くらいの気持ちでいるべきです。

人生80年と言いますが、いつ何が自分の身に起きるかわからない。

明日死ぬかもしれないのに今日死んだらもったいなくないですか?

明日になったら死んでしまうかもしれない・・・くらいの気持ちで

全力でやりたいことをやるのも素敵なことだと思います。

せっかく子育てという大仕事を終えたり、

人生かけてきた仕事も定年を迎えることができたのですから、

これからは今までならできなかった何かを、ひとりの時間や夫婦の時間を

存分に楽しんでほしいと思います。

生きがいはそういったことでいいのではないかと思います。

私も今は子供が生きがいですが、子供が一人前になり家を出ていったら

私は次の生きがいを探すと思います。

それでも、もちろん子供もずっと私の生きがいでしょうけどね。

もしかしたら子供の子供、つまり私の孫も私の生きがいになるかもしれません。

どんなに普通のことでもことでも、生きがいに変わってしまうのだと私は思います。

こんな考えになれたのは親鸞会の人と出会えたおかげだと思っています。

親鸞会では仏教の教えや親鸞聖人のことなどのことをよく話していただきますが、

その深層には人間のあるべき姿や生き方を教えていただいている気がします。

生きるとはすごいこと。生きがいを見つけるのは誰の為でもない

自分の為なんですよね。死ぬ時は誰でも1人になる。

どうせ1人になるのなら、自分の為に生きがいを見つけ、

生きがいを感じながら自分の為に人生を全うするというのが理想だと思います。

生きがいがない?辛い現実と向き合う

Posted in 生きがいとは  by: まみ
4月 4th, 2009

人間関係が面倒くさい・・・働くのが面倒くさい・・・

生きがいがないから、生きること自体が面倒くさい・・・

私が死んでも誰も悲しまないのではないか?と考えてしまう人は多いそうです。

昨年度から徐々に深刻になってきている今のこの戦後最大だと言われている

景気悪化の影響で、今までン十年も会社の為に尽くして頑張ってきた仕事なのに、

なんともあっさりリストラされてしまった・・・

もう生きがいもなくなったし、私なんか生きていても意味がない。

苦しさがこんなに続くのならいっそ死んでしまいたい・・・。

こんな悲しいことが頭によぎり、自殺を本気で考えてしまうケースも

少なくないのが今の現実なんですよね。

中には生きるのは面倒くさいと思いながらも、死ぬのはすごく怖いと思っている人もいるでしょう。

景気が悪化したことを恨んでも、景気悪化の原因となった出来事を恨んでも仕方ないですよね。

もちろん景気悪化のことだけじゃなく、恋人に裏切られたとか、信じていた友達に裏切られたとか

色々な悲しい出来事がキッカケで生きがいをなくしてしまう人もいるでしょう。

生きがいをすぐに見つけてください!とは言いませんが、

あなたにとって本当にその会社だけが生きがいなんでしょうか?

裏切られた恋人だけがあなたの生きがいだったのでしょうか?

私はことが起こるには、必ず何かしらの意味があるのだと思います。

悪いことが起こったのならそれは私への試練なんだと。

いいことが起こったのならそれは私への御褒美なんだと。

いろいろ意味があるのだと勝手に解釈しています。

生きがいを見つけよう

Posted in 生きがいとは  by: まみ
2月 18th, 2009

生きがいがないという人はまず、自分の生きがいとは何かを発見することから始めましょう。

自分には生きがいなんてないと思っていても

実は知らず知らずに「生きがい」となっているものがあるかもしれません。

それは人によって違うでしょうけど、例えばそれは音楽だったり、趣味だったり、

自分なりの特技だったり・・・いろいろな生きがいがあると思います。

好きだけど「生きがい」と言える程好きではないし・・・と思うものもあるかもしれませんが

生きていく上で「これは自分にとって絶対になくてはならないな!」

と普通に思うものでも、実は自分にとってかなりの生きがいになっているかもしれません。

私は高校の時にいじめられた経験があります。

その時は生きがいなんてなく、何しても面白くもなんともない日々に感じていました。

ただ友達と遊んでいる時と寝ている時だけが楽だと感じました。

高校では校則を守らなかったり、学校を休んで遊びに行ったりして、

よく先生に怒られたりしていて、みんながやりたくても我慢していることも

私のまわりの一部の人だけ、怒られながらも懲りずに自由にやっていたりして。

まじめに学校の規則を守っている人にとって私達は嫌な存在だったのでしょう。

学校の風紀を乱している私達を追い出そうとしている先生は

私達を無視したりするようになりましたが、先生の中には本気で私を心配している先生もいて、

今思えば自分は先生達はもちろん、まわりにもいっぱい心配をかけてきたなと思います。

先生が本気で私を心配してくれたと知ったのは卒業式の日でした。

私が過去に先生に何気なく言った言葉や、その時先生はどう思ったか、

先生から個別で手紙をもらい、その中の言葉に感動し、

私は初めて先生に「今までごめんなさい、ありがとう」と言いました。