生きがいとしていた母が……
Posted in 生きがいとは by: まみ興味深い体験談を耳にしましたので紹介したいと思います。
50代のお母さんの話でした。親鸞会で親鸞聖人の教えを学ぶ友人の知り合いの方でした。
以下は、そのお母さんの話です。
私は、気難しく、口やかましい父と、物静かな母との間に、3人きょうだいの2番目として生まれました。
小さいころから体が弱く、病気ばかりしていて、小学校に入ってもオネショが治らず、母をとても困らせたそうです。
いちばん、両親を悲しませたのは、7歳ごろから始まったチック症でした。この時の父の落胆ぶりと焦りはひどいものでしたが、
「私のほうがずっとつらいんだ」
と、心の中でいつも叫んでいました。
父がそんなふうなので、姉や弟も一緒になって私をなじったり、いじめたりで大変でした。母が必死になって私をかばい続けてくれなかったら、泣いてばかりいた私は、どこかで死んでしまったかもしれません。母は、そのときの私にとって、一番の生きがいでした。
しかし、そのチック症も、中学に入るころには自然と治っていて、母はとても喜んでくれました。私も本当によかったと思いました。
「これからは、部活動にも勉強にも頑張ろう」
と、趣味や生きがいを持つことに意欲的だったのもつかの間、今度は突然、神経症になってしまいました。
あらゆることに強迫観念を抱き、対人恐怖、赤面恐怖などに、ただ、おびえ続けました。しかし、母にこれ以上は心配かけられず、1人で我慢を通したのです。
やがて高校を卒業し、専門学校に通っている時に、電電公社(現・NTTグループ)の採用試験に合格し、あこがれの電話交換手になりました。
その2年後、最愛の母と死別。ろくな看病もできぬまま、生きがいであった母を失い、心の支えをなくしてしまった私はすっかり自信を失い、仕事帰りに、神経科の病院へ飛び込むようにして診察を受けました。相当重いと思っていましたが、この時は、2、3カ月のカウンセリングで、元気に明るくなりました。
その後、1年ほどして、周囲の勧めもあり、現在の夫と見合い結婚をしました。そして、夫とも相談のうえ、母を亡くして独り身となった父と同居することにしましたが、これが失敗の元でした。
やがて父と夫との争いが始まり、間に立たされた私は、長男がおなかにいたのに、仕事と家事とトラブルの仲裁に、心身ともクタクタになっていきました。
「この世は地獄だ」
と、つくづく思いました。
そんな中で、長男を出産し、
「これからは、この子を生き甲斐に、ゴタゴタは忘れて生きていこう」
と希望いっぱいで、産院から戻った時です。
すっかり安心し切って、息子の足首に通してあった病院の名札を捨てたのが縁となって、強迫観念が再発したのです。不注意で、わが子である証をなくした、自責の念でした。
以後、この病のために、息子を抱こうとしても、体が震えて抱けず、子も泣く、親も泣くの惨状となりました。母として、この苦しみは想像を絶するものでした。
4、5年我慢しましたが、耐え切れず、また元の病院へ。今度は治療なしで、1冊の本を手渡されました。それは、ある精神科医の著書でした。
「これが分かれば、自分で治せる」
と言うので、ついでに根治療法の本も4、5冊買って帰り、深夜まで読みふけりました。
「仏教」とか「親鸞聖人」と書いてあったのを、よく覚えています。
懸命に読んだかいあってか、病気の本態が分かり始め、それとともに元気が出て、だんだんと、長男を抱き締めてやることもできるようになりました。私には、これだけでも大変な喜びでした。
長男から11年後、長女が生まれました。元気だった私は、今まで味わったことのないいとおしさを感じ、私の全愛情を注いで育てました。最高の生きがいでした。時折、暗く寂しい目で私たち母娘を見つめる長男に気づきましたが、私には、それどころではありませんでした。
続きは、次回で。